2017年6月12日月曜日

播州織、山田錦、杉原紙よ、全国に響き渡れ(敬老の日もね)

農商工連携と地域資源の活用がテーマの研修。

中小企業大学校東京校での5日間のカリキュラムが
今日から始まりました。


研修生との交流会、二次回を終え、
意外に普通にPCに向かってる自分にビックリしながら、
寮の部屋に戻り、ブログを書いています。(写真は寮の部屋からの風景)

全国各地から集まった、商工会・商工会議所をはじめ、
商工業者の支援という同じような仕事をしている人たちとの交流はやはり楽しいもので。

自然と話も研修のテーマである地域資源の話に。

もちろん話のネタにもなるからと「播州織」のシャツを着て臨んだ初日。

「これ、地場産業の播州織っていう織物のシャツなんですよ〜」

って、地域資源のことを聞かれると言う。


しかし。

「あ〜播州織、知ってる」
「あ、播州織、聴いたことある」

っていう期待していたセリフは一切なし。

みんな知らない。

お酒の話になった時も「酒米の山田錦発祥の地なんすわ〜」
って言っても

みんな知らない。

名刺の話になったときも「和紙で、杉原紙ってあるんですわ〜」
って言っても

みんな知らない。

(敬老の日発祥の地は言うタイミングを逃したけど)


まあ、確かに、正直言うと、となりまち丹波市に住んでいる僕でも
播州織は聴いたことあったけど、
山田錦発祥の地
杉原紙という和紙の存在

知らなかった。


みんな知らないんだ。

地域振興事業をしていて、まあ、地域の情報に関してはけっこう敏感であるはずの商工会・商工会議所等の同じ仕事をしている人たちでも

みんな知らないんだ。

そんな風に言う僕も、今日話した全国各地の人たちの地域資源、知らなかった。


そうなんだ
まだまだ知られていないんだ。

がっかりすることはない。

まだまだ伸びしろはいくらでもあるんだ。

きちんと伝わるように伝えれば、

まだまだ知ってもらえるんだ。

これが今日の学び。
(もちろん研修でもいろいろ学びましたよ)



2017年5月1日月曜日

播州織をもっと知ってほしい、発信したい

西脇市に播州織のコワーキングスペースが誕生しました。
「どんなとこだろう」と興味持っていたところ、今日行ける機会があったので、行ってきました。
デザインや縫製ができる場所で、西脇市ファッション都市構想の一環とのこと。
いいですね、こういう取り組みって。

今日は播州織について、いろんな方の話を聴く機会がありました。
そしてちょこっとしゃべる機会もいただきました。

僕はその中でももちろん新参者で、多可町商工会4年目、多可町に来るまでは、播州織という名前は知ってたけど、どんなものなのかは正直まった~~~く知ってませんでした。

関わるにつれ、どんどんハマるようになり、今ではシャツをはじめ、いろんな播州織の製品を身に付けるようになりました。

なぜでしょう。

播州織を知ったからです。
生まれてくる生地のストーリー、関わる人が見えたからです。

知らなければわからないことはたくさんあります。

でも知れば愛着がわくこともあります。

知ってナンボ。
知ってもらってナンボ。

僕のような「播州織」という名前は知っているけど、よく知らない人。
「播州織」すら知らない人。
全国探せば、めっちゃたくさんいると思います。
世界に広げれば、ものすごい人数です。

播州織産地が抱える課題はさまざまで、一筋縄にはいかないものもたくさんあります。

少しずつでも始められること。
今からでも始められること。
誰でもいろんな方法でできること。

それは発信することだと思います。

知ってもらえればきっと良いモノだとわかるでしょう。

発信することの大切さを改めて感じた今日。
だからこそ今日は書きたいと思いました。

播州織をもっと知ってほしい。
だから僕にできるやり方で発信していきたい。

2017年4月26日水曜日

播州織の美しき工程をいつまでも

播州織の製造工程は分業制で成り立っていて、もちろんその工程それぞれがなくてはならない役割を担っている。
糸から布に変わっていくのに、こんなにも多くの工程が、多くの人が関わっていたとは想像がつかなかった。

それらの工程のひとつが「へ通し」とよばれるもの。
この作業は何千本にもおよぶ糸を、一本一本、針のような小さな穴に通す手仕事。
仕事百科事典「笹倉織布」にて紹介)

その手仕事職人の高齢化が進んでいて、へ通し作業の今後が懸念されている。

仕事百科事典の取材を通じて初めて作業内容を見せてもらったが、もう、想像以上にこまか~~い作業。
僕は間違いなく不得意分野だろうけど、こういった仕事を得意とする人はどこかには必ずいるのではないかと思う。
だからこそ余計に、この手仕事に可能性を感じている。

そして可能性だけでなく、これらの工程それぞれに人がいて、その人は、次の工程の人のことを思って、作業をされている。
人から人へわたっていく、その工程がとても美しく感じるのだ。

この手仕事の存在を多くの人に知ってもらいたい。
そして、なんとかして後継者が出てきてほしい。

その思いで、この準備工程の取材協力をお願いし、ウェブで公開することで、知ってもらうことのきっかけづくりができ、僕の目的のひとつは達成できた。


そんなとき。
別のとある織物工場で、へ通しの機械に出逢った。

以前は使っていたらしいが、今は布がかぶっていた。
今は使われていないもの。


モノはあるんだ。

そしてその作業をできるヒトがいる。
そう、教えられるヒトがいるんだ。

トコ(場所)さえあれば、コトは興せるのではないか。

僕のアタマの大部分が、このことで占めている。

2017年3月31日金曜日

仕事百科事典、3年目へ

今日(もう昨日のこと)はとてもうれしいことがありました。
僕の想いがいっぱい詰まった事業(労働環境対策事業)「仕事百科事典」の3年目継続実施が決まりました。

この事業は補助金をいただいて実施している事業のため、継続するには計画を練り、新たな取り組みを実施していくことが必要になります。
その計画、新しい取り組みが認められたということです。

もう、うれしいです、ホント。
周囲から見れば、いろんな事業の中の一つの事業ですが、僕の中では、いろんなものにつながっているかけがえのない事業です。(ま、担当事業は誰もがそう思うとは思いますけどね)

そう、いろんなものにつながっているのです。
正確に言えば、いろんなものにつなげてしまおうと思っているのです。
アタマの中、まだまだ整理できていませんが、まもなく始まる29年度、仕事百科事典も新たな取り組みを増やして、さらに拡充していくことになります。

やりたいこと、やりたかったこと、この仕事百科事典を通じて、実現できればと思っています。